読み聞かせしながら、考える。

読み聞かせボランティアで読んだ本の紹介と活動のなかで考えたことを綴ります。

「どんなかんじかなあ」〜見えない、聴こえない、親がいない、動けない

今日は三学期最初の読み聞かせボランティア。

6年生のクラスの担当でした。

 

15分の持ち時間、前半は1学期に読んでわりと好評だった星新一さんの「ねらわれた星」の中から、表題作の「ねらわれた星」と同じ星さんの「はなとひみつ」を。

 

ねらわれた星 (星新一ショートショートセレクション 1)

ねらわれた星 (星新一ショートショートセレクション 1)

 

  

はなとひみつ (おはなしえほんシリーズ)

はなとひみつ (おはなしえほんシリーズ)

 

 

星さんの作品を読み聞かせに使うときは絵は無く声だけ。「想像しながら聴いてね」と最初にお願いをします。

6年生、クラスの雰囲気もあるのだろうと思いますが、何を読んでもあまり反応がないんですね。これは他のボランティアさんも難しいと仰っているところで。

でも星さんの作品の面白いところは前半を聴いてしまうと先が気になる事。読み進めているうちに横を向いたり退屈そうにしたりしていた子たちが段々とこっちを見始めるのでいつも面白いなぁと思いながら読む作家さんです。

 

2作品読み終えてまだ5分くらいあったので、中山千夏さんの「どんなかんじかなあ」を出しました。

どんなかんじかなあ

どんなかんじかなあ

 

 

図書館で見つけた時、和田誠さんの大きくはっきりとした絵で読み聞かせに使い易いと思って手に取ったのですがその内容はとても深く「これは高学年向けだな」と感じました。小さい子が何かを感じる本、と一見して思ったのですが、実は主題となっているのはハンディ。目が見えない子、耳が聞こえない子、震災で両親を失った子。

 

主人公の男の子が、それぞれのハンディをもつ子の気持ちについて考えます。

目が見えないってどんな感じ、聴こえない、親が居ない、実際に目をつぶり、耳栓をし、想像し、体験しようとします。そして、見えないことで聴こえるたくさんの音、聴こえない事で見えるたくさんの視覚情報…。

 

そして男の子はそれぞれの友達に言います。「見えないって(聴こえないって)すごいんだね」「見えるって(聴こえるって)そんだなぁ」

 

ここで一つのモヤモヤした感覚がありました。子どもたちも聴きながら感じたりしたのではないか、と思います。それは「障害のある人に向かってそんなことを言って良いんだろうか」ということ。

 

目の見えない子に「見えないってすごいね、たくさん聴こえるんだね、見えるのはそんだなぁ」って言ってしまうこと、それはとても失礼なことなんじゃないか、そんなこと言ってはいけないんじゃないか、とどこかで身構える自分がいました。

 

でも見えない女の子は機嫌を壊すこともなく「そんなことよく考えるね」って笑う。

そして親のいない女の子は、動くことが出来ない主人公の男の子の気持ちを理解するために一日中じっとして動かずにいて気づいたことがあると教えてくれる。

 

目の見えない子はその子の世界を生きている、聴こえない子も、親のいない子も、動けない子も。

 

どこかで、自分は健常者だと思ってハンディがある人を腫れ物に触るように扱ってないか、それは逆にその人の尊厳を認めていないということなんじゃないか、と読みながら逆に自分が考えさせられる絵本でした。