マック・バーネットさんという絵本作家さん。
以前録画しておいた番組をぽつぽつ消化しているときにみた、NHK「スーパープレゼンテーション」の3.11放送分。アメリカの絵本作家マック・バーネットさんの回でした。
3月11日放送 | これまでの放送 | スーパープレゼンテーション|Eテレ NHKオンライン
「アナベルとふしぎなけいと」を見かけたことはあったのですが、ちゃんと読んだことはなかった作家さん。早速取り寄せた一冊が「サムとデイブ、あなをほる」
届いてすぐにうちの子たちに読んであげたらどはまりの三男。何度も繰り返し読んでくれとせがまれました。
毎晩毎晩寝かしつけ絵本として登場していたこの本を、先日1年生の読み聞かせに持って行きました。
お話もさることながら、この絵本のキモはジョン・クラッセンさんの絵。
柔らかい色調で少し細かいので遠くでは見えないかもと思って、後ろの方は見えなかったら前に来ていいよ、とあらかじめ移動してもらいましたが、空間を上手に使ったイラストに子どもたちは食い入るように見入っていました。
掘り進めて行く過程で文字にはあらわれないけど見えているあんなことやこんなこと。一生懸命掘っているのに宝物になかなか出会えないサムとデイブ、子どもたちは「あーーー!」「あそこーーーー!」と指を指して大きな声をあげてくれ、ページをめくるごとにその声は大きくなっていきます。
声はあげても周囲と話すわけではなく気持ちは本に向かってくれているので、こういう感じで声を出すのは読み聞かせの上で邪魔になることもなくむしろ雰囲気が良くなることが多いような気がします。おとなしく座って聴いている子の邪魔にならない程度の雰囲気になるよう、あまり声が大きい子が居るときはおしゃべりが続かないような配慮をすることが多いです。直接注意してしまうとお話が途切れてしまって空気が途切れてしまうので、読み進める言葉の感覚を少しあけてその子の発言が途切れるのを待ったりすることが多いかな。
明らかに不適切に大きな声で揶揄したり調子に乗って騒ぎだしたりする子が居たら、無視です。反応したら調子に乗るから。でも物語にのって反応を示してくれてる子には読みながら言葉を返すことも。
私がこの絵本の中で好きなのは、飲み物が水筒に入った「チョコレートミルク」と、おじいちゃんのハンカチにつつんだ「どうぶつビスケット」。小さい頃に憧れた、絵本のなかのいろんな食べ物や描かれた外国の風景、物語の醍醐味はここだなぁと思うのです。今回の読み聞かせの途中でも「チョコレートミルク!?」って反応してくれた子がいて、なんだかうふふっとなったのでした。
マック・バーネットさんの絵本で気になっているのはこれ。
Billy Twitters and His Blue Whale Problem
- 作者: Mac Barnett,Adam Rex
- 出版社/メーカー: Disney Book Group
- 発売日: 2009/06/23
- メディア: ハードカバー
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ママに叱られるたびに脅しとして「クジラを買ってくるわよ!」と脅されていたビリーの家に本当にクジラがやってきてしまう、というお話らしいのだけどどうやら邦訳はされてない模様。番組の中で紹介されていたのですが、カバーの裏には応募すればクジラがご自宅に届きます!っていう宛先が書いてあるらしい…!
取り寄せて、読み聞かせで使いたいなぁ。
洋書でも自力で和訳すれば読んであげられるのは、読み聞かせの楽しみの一つかも。
余談ですが、↑のクジラの応募先、ハガキ?を送るとマック・バーネットさんから「税関の関係でクジラをお届けできなくなりました」という本格的な嘘をついたお手紙が届いたり、クジラと話せる電話番号が教えてもらえたりするというお話も番組内で紹介されていました。
クジラの留守番電話に定期的に電話をかけて来てくれる男の子の声が流れていたのだけど、クリスマスの挨拶を、とか、おばあちゃんのことが嫌いになった話を、とか、たまにかけてきて自分の事を自分のクジラに話してくれる、こういう、思い出して電話をかける先があるのって、なんかいいなと思いました。
私が、ふらっと立ち寄れる文庫がいつか自宅で開けたらと思っているのもそういう、時々思い出して関われる先になりたいからかもしれません。マックさん主催の作文教室も、教室への入り口が「タイムトラベルしてきたコンビニ」という不思議なコンセプトで海賊用のグッズが売られていたり店員さんが色んな時代のコスプレをしていたり。発想がとっても面白くて、もっと色々知りたいなぁと思う作家さんのひとりです。
娘の選んだ絵本と、読み聞かせの手法
読み聞かせボランティアを始める前に、読み聞かせの手法について色々と調べたり読んだりしてみたことがありました。
色々と眺めていたら「読み聞かせのときは声になるべく抑揚をつけず声色をつかったりせずに淡々と読んだほうがいい」という意見が多く見られて、こんなので楽しいの???と思ってしまったから。
読み聞かせ=絵本を通したエンターテイメントの時間、と思っていたので、私はいままで子どもたちに対しても面白がって聴いてくれるような読み方をすることが良くありました。役になりきって演じたり、関西弁の本や落語の本をそのイントネーションで読んでみたり。
でも、読み聞かせの主流では「演じちゃダメ」という。なんで~???って疑問符がたくさんでした。
そんなことをtwitterでぶつぶつ言ってたら、色んな方がご意見をくださって、その会話を通していろんなことが見えてきました。
大事なのは、読み聞かせで一番大事なのは何か?ということ。
声色を使って面白く演じて読んであげること、それは子どもたちにとって楽しいかもしれないけど、その印象が強すぎると絵本そのものの印象が薄まってしまうかもしれない。だから、絵本の世界を大事にするためにはなるべく読み手の印象を強めてはならない、というのが、なるべく淡々と、という指導の意図のようです。
なるほど。
読み手が派手に演じてしまうと、その後その本を読み返すときもそのイメージがついてきてしまうかもしれない、それは確かによろしくない。
読み手の印象が強く付き過ぎないように読むのがよろしい、という読み聞かせの手法についてそれが正しいのかどうか、私は自分の中でこれだっていう答えが出せずに1年が過ぎました。
本やその場の子どもたちの雰囲気に沿うようにとそのときどきで考えて、色々と読み方を変えてみたり工夫してみたり、発展途上という感じです。
私の参加している読み聞かせボランティアのサークルには、教員をリタイアされた年配の方々や地域の年長者の方、小学生のお母さんたちなど年代も様々。その中に、まるで演技をするように読み聞かせをしてくれる方がいらっしゃいます。セリフを読むように感情を込め、ときに身振りや手振りも交えて演じながら、一冊の絵本というより一つのお芝居を見ているような、そんな劇場型読み聞かせ。
私が最初に調べたりした、いわゆる読み聞かせのスタンダードな手法からいくとたぶんNGなその読み聞かせ、子どもたちの反応はどうなんだろう…と興味津々の私は自分の当番ではない日に見学させてもらったり、うちの子たちの感想を聞いてみたり。
そんな中、子どもたちと図書館に行った後に気づきました。
娘の図書館用バッグの中に、その劇場型読み聞かせの方が少し前に読んでくれた絵本。それを見て、なんだか嬉しくなりました。
そういえば読み聞かせのある曜日の前、娘はいつも私に「今度は誰が来る?」と聞いてきます。当番表を見て誰かを教えると「○○さん(上記の方)がいいなぁ」と漏らすことも。どんなところが好きなのかを尋ねると、とにかく楽しみなの、と娘。読んでくれる絵本も面白いし、お話の仕方も楽しくて、きてくれると嬉しい、と。
当番表には、学校からサークルへ希望することとして
「読み聞かせを通して子どもたちが本に興味を持つよう、読むきっかけになるように働きかけて欲しい」
と書かれています。
読み聞かせを楽しみにして、読んでくれた絵本を選んで借りて来た、これ、学校が求めていることそのまんまだなぁと。
どんな読み方が良いか、私はまだ自分の中でしっくりくる答えが出せていません。
劇場型だと楽しいかもしれないけど、前のブログ記事に書いたように本に余計なイメージを植え付けてしまうかもしれない、それがどんな影響を与えるのかまだよくわかりません。
でも子どもたちが、本を、お話を、聞かせてもらう時間を、楽しみにしてくれるような活動が出来る人になりたいなぁと娘の話を聞きながら思ったりしています。
新学期最初に低学年のクラスで読んだのはこれ。
絵本を縦にするシーンあり、オノマトペもたくさんありで盛り上がりました。
「このよで いちばん はやいのは」卒業生へ送った言葉
こちらのブログをかなりほったらかしてしまっていましたが、少し時間が出来たので昨年度末の卒業する6年生への最後の読み聞かせのことを書いておこうと思います。
選んだ本は「このよで いちばん はやいのは」
※ 本の結末に関する記述がありますので気になる方は続きは本を読んでからにしていただければと思います。
本の表紙を見せて「さてこの世で一番はやいの、なんだと思う?」とまず問いかけてみました。
「音!」「光?」あちこちから、大きな声や小さな声が次々と。さすがは6年生、これを低学年で聞くとまずはチーターとか新幹線とか出てくるんだろうなと思います。
「さてなんでしょう、という、お話です」
絵本の中には、生き物から人間が作ったもの、音、光、いわゆる「はやいもの」が順番に出てきます。そしてこの絵本の中で最後に「いちばんはやい」として出てくるもの、それは「みんなの想像力」目を閉じて思い浮かべればすぐにどこへでもいくことができる、その想像力が、この世で一番早いもの。
という結末。
ほんの最後で「目を閉じてごらん」と促す記述があります。
それに従って目を閉じていた子どもたち。読み終えて目をあけた子どもたちに、読み聞かせボランティアとしての言葉を最後に贈りました。
この絵本に書かれていた、この世で一番早い、君たちの持っている想像力。
その想像力は君たちの中でどこまでも広がっていく大きな海なのだけれど、でもその海はまたひからびてしまうこともあります。海をひからびさせないために必要なこと、海をどんどん広げて行くために必要なこと、それはなんだと思う?
それは「知識」です。
もう一度目を閉じて「アメリカ」を想像してみてごらん。
君たちの脳の中に今思い描かれたアメリカは、どこからか湧いてきたものではなくて、君たちがテレビで見たり、本を読んだり、人から聞いたり、実際に行ってみたりした、その経験から得た知識で作られています。アメリカのことを見たことも聞いた事も無ければ、思い描くことも難しい。知識がなければ、想像の海は広がることができずに簡単にひからびてしまう。
だから。
君たちが持っているその想像力を、もっともっと深く広い海にするために、たくさんの知識を得て下さい。色々な経験をして、色々な知識を得て、考える力を身につけて欲しいなと思います。
そしてそのために君たちができること、そのひとつが、本を読むことです。君たちが疑問に思うこと、その答えの多くは恐らくは市立図書館の蔵書の中にあります。行った事の無い違う世界を見せてくれることもあります。自分が想像もつかなかったことを教えてくれることもある。ちょっと辛いときにそれを忘れさせてくれることもある。
そして、図書館は一日中そこにいても迷惑なことをしない限り誰も君たちを邪魔にしない、居場所にもなってくれる。冷房も暖房もきいていて、音楽も聴けるし、漫画も読める。
本は、たくさんのことを教えてくれます。困ったときに助けてくれます。
これからの君たちの未来に、本から色んな助けが得られるよう、読み聞かせのおばちゃんとして祈っています。卒業、おめでとう。
「七人の犯罪者」〜高学年の教室へ
高学年の教室へ読み聞かせにいくのは緊張します。選書が難しいこと、そして反応が薄いから楽しんでもらえたのかがダイレクトには分かりづらい。
5年生の担当と分かったときから、何を読もうかずっと思案してきました。
絵本らしい絵本を読むのも良いかな、前に読んだ星新一は割と好感触だったな、考えさせるような重いものもありかな、色々と考えながら今回は2パターン持っていきました。
1つは、星新一さん。
星新一ちょっと長めのショートショート〈10〉七人の犯罪者 (星新一ちょっと長めのショートショート 10)
- 作者: 星新一,和田誠
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 2007/02
- メディア: 単行本
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星さんの作品、私自身は中学生〜高校生くらいの頃に新潮文庫のものを読みあさった記憶があります。ミステリー色の強いもの、SFっぽいもの、ちょっと色っぽいもの、ドキドキしながら「そうきたか」っていう展開を楽しんでました。
2000年以降くらいからなのかな、児童書として編纂し直されたものが出ているようで、図書館にも小さめのハードカバーになって丁寧にルビがふられた星さんの作品集が何種類か並んでいます。内容もわりと平易なものを集めているようなので、これなら小学校高学年からでも十分楽しめそうだなと以前から何度か読み聞かせに使ってきました。
今回はその中でも少し長めのショートショートをまとめた作品集の中の1冊。その短編集の中から、表題の「七人の犯罪者」がちょうど15分で終わりそうだなと選んでおきました。
読み聞かせをする作品を選ぶときはたいてい、直前に子どもたちに聞いてもらう機会をもって息子に時間を計ってもらったりしています。持ち時間が15分なので前後のおしゃべりも入れて12〜3分で終わるのが理想かなと。七人の犯罪者は自宅で読んだときは13分だったのでぴったりな計算でした。
もう1パターンは「11ぴきのねこ」シリーズから2冊。
このシリーズ、有名なのにそういえばうちの子たちに読んであげたことはありませんでした。末っ子が図書館で1作目の「11ぴきのねこ」を見つけてきてとても気に入って、先日続けて借りて来ていたもの。
末っ子に読んであげているときに上のお兄ちゃんたちも釘付けで聞いていたので大きい子にも面白いんだな〜と思って持っていってみました。
ちなみに4歳の末っ子は
の中の「ねんねこさっしゃれ」というセリフが大好き。普段耳にしないフレーズに出会えるのも絵本の楽しみのひとつだな〜と眺めていて思います。
余談ですがこの「さっしゃれ」という言い回し。「火の用心 さっしゃりませ」の後半「さっしゃりませ」と同じ言葉だったと後日調べていて気づきました。
さらに余談ですが「火の用心さっしゃりませ」というフレーズが登場する本はこちら。
閑話休題。
教室に入って低学年の教室か?と思うほど騒がしい子たち。
二種類の本を見せて「ねことミステリー、どっちがいい?」と聞くと男の子たちは「ミステリー!」と即答。というわけで今回は星さんの作品を読みました。
自分の自宅に強盗に入ろうとする主人公、その理由は…ドキドキする内容と最後にちゃんと最初のエピソードに繋げる星さんらしい作品。子どもたちも最後まで真剣に聴いてくれました。
さて次は来月、卒業する6年生へ小学校最後の読み聞かせを担当させてもらうことになりました。何を読もうか…今からドキドキしています。オススメがあったらぜひぜひおしえてくださいませ。
落語えほん「しまめぐり」
先週と今週は低学年のクラスを回ったので、短くて音が面白い本が良いなぁと図書館をうろうろ。
何冊かみつくろって教室へ。
どちらの教室でも子どもたちは元気いっぱいで騒がしい…ということで、じゃあこれかな?と持っていったうちの一冊を選びました。
うちの子たちも大好きで何度も借りている落語えほん「しまめぐり」
落語を題材にした絵本をたくさん出されている桂文我さん、NHKの「えほん寄席」にも携わっていらっしゃいます。うちの子たちも文我さんの他の落語の絵本も好きで、よく読んでいます。
落語は起承転結がはっきりしているのでエンターテイメント性を出したいときには良い題材かな、と思います。声の抑揚が付け易いものが多く、お話の展開も面白さが際立つものが多いので騒がしい男の子の多いクラスだと、最初落ち着かない子もだんだんと引き込まれていって聴いてくれることもよくあり、元気のいい子たちの多いクラスで選ぶことが多いです。
そしてこの「しまめぐり」の肝はスズキコージさんの絵。
スズキさんの絵本、有名なのはこのへんでしょうか。
スズキさんの絵、好きずきが分かれるかなぁとは思うのですが、ぐいぐい引き込まれる感じというか、怖いものみたさというか、魅せられるというか、ページをめくるごとにドキドキしてしまう絵が印象的です。
「しまめぐり」は落語がベースのお話なのですが、ガリバー旅行記を思わせるような、どこか異国の雰囲気のするお話です。そしてその和から離れた感じのストーリーを、スズキさんの絵で魅せている、そんな絵本です。
この絵本、落語ベースなので七五調で書かれています。
冒頭から
だいすきだった おじいさん
ぽっくりあのよへ いくまえに
ぼくにはなしを してくれた
と、こんな感じ。
最後までこの語調が統一されていて、子どもたちもその語調にだんだん乗せられていく、そんな絵本です。
そしてなによりも小学生の男子を喜ばせるのが「オシッコ」のシーン。
さすが落語家さんの書いた本だなぁと思わせられるのですが、七五調のなかにオノマトペが上手に組み込まれていて、テンポよく進みます。子どもたちからどっと歓声や笑い声があがります。
お話の始めの方にこのシーンが有るので、そこでぐっとこっちに意識を持ってくるのに効果大でした。
最後まで読んで、この本を借りて来た市立図書館のお話をして、おしまいにしました。
一方のクラスでは少し時間が余ったので、持っていっていたもう一冊のこれを。
福岡は糸島の絵本作家さん。可愛い絵でうちの子たちも大好きな絵本です。
列車の動く「がた〜ん もにょ〜〜ん」という音に喜ぶ子も多くて、低学年にはオススメです。うちでこの絵本を読むとしばらくの間うちの4歳児がトッキュージャーの列車を動かす時も効果音が「がたんもにょん」に変わります(笑)
絵が細部までとても丁寧に描かれているので大人数相手の読み聞かせというよりはおうちでゆっくり読んで欲しい絵本かなぁと思うので、最後に「絵がゆっくり見たい子は図書館で借りてね〜」と付け加えておきました。
「借りてね〜」を「うちに読みにおいで〜」に変えたくて、自宅を文庫みたいにしたいなぁとぼんやり夢見たりしています。
エンヤラ、ドッコイ!「ペンギンたんけんたい」
3学期2度目の読み聞かせは以前からボランティアの間であまり評判のよろしくない、2年生。
始まっても席に着かなかったり大きな声でおしゃべりしたりする子たちが多いとか、なぜかイスを後ろに持っていって並んで座って小声で何か言い続けてる女の子たちの集団があるとか、お噂はちらほら聞いていたクラス。
担任の先生が教室を去って少し経っていたのか、チャイムの前に教室の前に立つと歩き回る足音やザワザワとした話し声が聞こえます。読み聞かせボランティアが来ることは担任から知らされているはずなのでお行儀のよいクラスだとこの時点で物音が聞こえないことも多かったりします。
何冊か持って来ている絵本と児童書、さてこのざわついた教室で何を選んだらいいかなぁ、と思いながらドアを開けました。
その日持っていっていたのは
の3冊。
「光の旅 かげの旅」は最後まで読んだら上下をひっくり返してまた最初に戻る、というしかけ絵本。導入が穏やかなのでざわついたこのクラスには向かないかなと。
「だんごむしと恐竜のレプトぼうや」は冒険ものなのでいいかな〜と思ったのだけど絵が細かいので落ち着かない子が多いクラスだと「絵が見えない!」って騒がしくなるかもな〜と。
なので今回は「ペンギンたんけんたい」
ざわざわと自由に話している数人の子どもたち、それを注意する別の子たち、ざわついて教室の中で息を吸って、読みはじめの第一声は「エンヤラ、ドッコイ!」
最初の一言が聞き慣れない言葉だと、子どもたちは一瞬、こっちに注意を向けます。
そこから約15分間、文字がメインの児童書なのでテンポに気をつけながらやや駆け足で読み進めます。
最後の最後まで展開が読めないストーリーなのと、ところどころに小ネタが仕込んであるので最後はみんな本に注目して笑ったり驚いたりして最後のページを迎えました。
「ペンギン」シリーズは「ペンギンおうえんだん」や「ペンギンたんていだん」などシリーズになっていて、どれもテンポがよく子どもでも30分程度で読み終えられる内容なので絵本から児童書にレベルアップするときの導入として手に取り易い書籍かなと思います。講談社の「どうわがいっぱい」シリーズのなかの作品なのですが、このシリーズは他の作家さんの作品も面白くうちの子たちもよく学校の図書室や市の図書館で借りています。
今回は挿絵が少しの児童書だったので絵を見せることはあまり意識せず読みました。
読み聞かせをするときに絵が見えるかどうか、ってボランティアさんの中でも意見が分かれるところみたいです。
低年齢だと絵が見えないとそれで騒ぎになることもあるのでそんな雰囲気のクラスだと本選びにも注意が必要かなと思います。
絵がみんなに見えるようにしてあげないと、っていう方もいらっしゃるし、絵が気になるならその本を自分で読めば良いんだからって方も。
私としては後者のご意見に納得、です。
読み聞かせボランティアの活動の目的はやっぱり「本が読みたいな」って思ってもらうことなんじゃないかと思っています。そう考えると、読み聞かせで出会った本を今度は自分で読んでみたい、よく見えなかった絵をじっくり眺めたい、こまかい文字まで全部読みたい、そう思って図書室や図書館で手に取ってもらえるといいなぁと思う。
その導入なので、むしろ「絵が見えない、もっと見たい!」っていう気持ちを誘うというのは作戦の一つでもあるのかもしれません。苛立たせてつまらない気持ちになっちゃわないようにと思うとかなり高度な駆け引きになるのかもしれませんが。
そう考えたら、本当は図書室にある本から選ぶのがベストなのかな、とは思うのですよね。読みたかったらすぐ借りに行って手に取れる、図書室に「読み聞かせで使われた本です」ってコーナーが出来たりするとより手にとりやすくなるのかな〜と思ったりしています。
「どんなかんじかなあ」〜見えない、聴こえない、親がいない、動けない
今日は三学期最初の読み聞かせボランティア。
6年生のクラスの担当でした。
15分の持ち時間、前半は1学期に読んでわりと好評だった星新一さんの「ねらわれた星」の中から、表題作の「ねらわれた星」と同じ星さんの「はなとひみつ」を。
星さんの作品を読み聞かせに使うときは絵は無く声だけ。「想像しながら聴いてね」と最初にお願いをします。
6年生、クラスの雰囲気もあるのだろうと思いますが、何を読んでもあまり反応がないんですね。これは他のボランティアさんも難しいと仰っているところで。
でも星さんの作品の面白いところは前半を聴いてしまうと先が気になる事。読み進めているうちに横を向いたり退屈そうにしたりしていた子たちが段々とこっちを見始めるのでいつも面白いなぁと思いながら読む作家さんです。
2作品読み終えてまだ5分くらいあったので、中山千夏さんの「どんなかんじかなあ」を出しました。
図書館で見つけた時、和田誠さんの大きくはっきりとした絵で読み聞かせに使い易いと思って手に取ったのですがその内容はとても深く「これは高学年向けだな」と感じました。小さい子が何かを感じる本、と一見して思ったのですが、実は主題となっているのはハンディ。目が見えない子、耳が聞こえない子、震災で両親を失った子。
主人公の男の子が、それぞれのハンディをもつ子の気持ちについて考えます。
目が見えないってどんな感じ、聴こえない、親が居ない、実際に目をつぶり、耳栓をし、想像し、体験しようとします。そして、見えないことで聴こえるたくさんの音、聴こえない事で見えるたくさんの視覚情報…。
そして男の子はそれぞれの友達に言います。「見えないって(聴こえないって)すごいんだね」「見えるって(聴こえるって)そんだなぁ」
ここで一つのモヤモヤした感覚がありました。子どもたちも聴きながら感じたりしたのではないか、と思います。それは「障害のある人に向かってそんなことを言って良いんだろうか」ということ。
目の見えない子に「見えないってすごいね、たくさん聴こえるんだね、見えるのはそんだなぁ」って言ってしまうこと、それはとても失礼なことなんじゃないか、そんなこと言ってはいけないんじゃないか、とどこかで身構える自分がいました。
でも見えない女の子は機嫌を壊すこともなく「そんなことよく考えるね」って笑う。
そして親のいない女の子は、動くことが出来ない主人公の男の子の気持ちを理解するために一日中じっとして動かずにいて気づいたことがあると教えてくれる。
目の見えない子はその子の世界を生きている、聴こえない子も、親のいない子も、動けない子も。
どこかで、自分は健常者だと思ってハンディがある人を腫れ物に触るように扱ってないか、それは逆にその人の尊厳を認めていないということなんじゃないか、と読みながら逆に自分が考えさせられる絵本でした。